1701年、両祖父はウプサラ大学の教授、父親も天文学の教授という恵まれた環境に生まれたセルシウスは、子供の時から数学に優れた才能を示していたと伝えられています。最初はウプサラ大学で法律を勉強していましたが、すぐにその専攻を数学と天文学に変更。その才能を傾け、29歳という若さで、ウプサラ大学の天文学教授に就任しました。
セルシウスの時代は、地理的測定や気象観測などは天文学の範疇とされていました。彼は気象観測を続ける中で、気圧が一定のとき、水の沸騰する温度が常に一定であることに気づき、当初水の沸点を0度、氷点を100度とし、その間を100等分することを1742年に提案しました。彼の死後、沸点を100度、氷点を0度に改められています。
摂氏の考案で有名なセルシウスですが、彼の功績はそれだけではありません。長年オーロラの観測を行い、1733年には観察記録をまとめて発表しています。また1732年から1736年にかけて、当時ヨーロッパの有名な天文台を精力的に訪ね、天文学者達と交流を深めています。ウプサラに戻ってすぐに彼は、フランス人天文学者モーペルテュイがスウェーデン最北の地トルネオへ向けて1736年に行った有名な探検、ラップランド探検に参加しました。この探検の目的は、北極の近くで子午線に沿って緯度の長さを測量し、その結果を、ペルー(現在のエクアドル)の赤道近くで行われた同様の調査結果と比較することでした。これらの調査により、地球の形は極の周りが平らになっている楕円形であるというニュートンの考えが立証されました。
このラップランド探検は、セルシウスを有名なものにし、セルシウスが主張していた天文台の必要性にはずみをつけるものになりました。セルシウスの努力がついに実り、1741年にスウェーデンで初めてのモダンな天文台が建設されました。そこには、彼が長い旅行中に購入した器械を始め当時最先端のテクノロジー機器が備えられていました。

(写真上)建設当時のウプサラ天文台。当時の建物は、今もウプサラ市内に保存されています。
(写真右)現在のウプサラ天文台 |
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42年という短い生涯の中で、数多くの功績を残したセルシウス。その遺体はウプサラ市内から5キロほど北にはなれた教会で、祖父のマグナス・セルシウスの隣に眠っています。

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