ベルイマンは1918年、牧師のエーリックとその妻カーリンの次男として、スウェーデンのウプサラに生まれました。カーリンは出産の際にスペイン風邪にかかっており、ベルイマンは生まれたときすでに瀕死の状態でした。このため、幼少時は非常に体が弱く、常に病気がち。依存心が強く、学齢に達しても登校しようとしませんでした。
そんなベルイマンを父のエーリックは、暗いクローゼットの中に閉じ込めたり、笞で打ったりと、非常に厳しい体罰でしつけました。19歳のとき、ベルイマンは父への反発からとうとう家出。その後4年間、両親と会うことはなかったと言います。父との確執はベルイマンが大人になってからも消えることはなく、ベルイマンは48歳のとき、悪性腫瘍で倒れた父を見舞うこともしませんでした。家族の愛憎を赤裸々に描き出す作品には、このような家庭環境の影響も少なからずあったようです。
世界的には映画監督としての顔が知られていますが、スウェーデン国内では舞台の脚本、演出も数多く手がけています。ストックホルム大学で演劇を学び、王立劇場でシェークスピア劇などの演出を手がけました。大学卒業後はスウェーデン最大の映画会社に就職し、1946年に『危機』で映画監督としてデビュー。以降、50〜60年代の初期の作品は、当時の映画ではほとんどなかった複雑な心理描写やそれを表現するための幻想および回想シーンなど、斬新な映画技法を続々と開発し、業界を驚嘆させました。その独特なスタイルは「Bergmanseque(ベルイマン風)」という言葉まで生み出し、ウッディ・アレンやロバート・アルトマンなど、世界的な名監督にも影響を与えました。
ベルイマンは優れた女優を見出し、育てる手腕にも長けていました。『不良少女モニカ』でデビューしたハリエット・アンデションは、その官能的な魅力を開花させ、以降何本ものベルイマンの作品に出演。2人はプライベートでも関係を持つようになりました。以降、ベルイマンの作品では複数の愛人がヒロインを演じ、ときには共演しています。そんな華やかな恋愛遍歴の中、ベルイマンは5度の結婚で8人の子供をもうけました。
『サラバンド』でヒロインを演じるリヴ・ウルマンも、長きにわたり公私ともにベルイマンの最も大切なパートナーでした。『サラバンド』は、1974年に公開された『ある結婚の風景』の続編に当たる作品で、同作品で夫のヨハンと離別したマリアンが、30年ぶりにヨハンを訪ねる決心をするシーンから始まります。そして、ヨハンとその息子ヘンリックが互いにぶつけ合う憎悪、ヘンリックの娘に対する常軌を逸した偏愛など、リアルな愛憎劇がバッハの『無伴奏チェロ組曲第5曲』のサラバンドに乗って、生々しく描かれています。
『サラバンド』は全編ハイビジョン(HD)デジタルカメラで撮影され、デジタルプロジェクターでHD上映されています。自ら“遺作”と銘打ち、85歳で製作した作品の中でも、ベルイマンは常に映画界に斬新な技法を投入してきた挑戦的な姿勢を崩すことはありませんでした。

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