1885年9月22日、アスプルンドはスウェーデンの首都、ストックホルムで生まれました。少年時代から絵を描くことが大好きで、高校時代には画家を目指しますが、周囲の反対にあい断念。高校の教師の勧めもあり、建築家になることを目指します。そして1905年にストックホルムの王立工科大学に入学し、建築の勉強を始めると、ナショナル・ロマンティシズムに出会います。これは産業革命以降、急速に近代化する社会を背景に、自国のアイデンティティを追求した文化思潮で、スウェーデンでは森やヴァイキング文化といったスウェーデンのアイデンティティを大切にした思想となっていました。このナショナル・ロマンティシズム派の建築家であるL.I.ヴァールマンらに指導され、アスプルンドは実施作品の第1号となる住宅の仕事などを任せられています。
当時のスウェーデンの建築教育は、工科大学で4年間学んだ後、王立芸術大学で3年間学ぶというのが、一般的でした。アスプルンドも1909年に工科大学を卒業後、1910年に王立芸術大学に入学しますが、ボザール流の保守的な教育に反発して中退。そして6人の学生時代の仲間と共に私設学校「クララ・スクール」を設立し、自ら招聘したR.エストベリら一流の建築家たちのもとで学びます。
1912年〜1913年の2年間にアスプルンドは、「イェーテボリ裁判所増築」など5件のコンペに応募し、全てで入賞。この入賞実績で建築家としての基礎を築き、まとまった賞金を手にしたため、1913年12月から南欧へ6ヶ月間の旅に出ます。途中で立ち寄ったパリには興味を示さなかったものの、イタリアで深く感銘を受け、イタリア各地で描いた数多くのスケッチに感激の言葉が書き連ねられています。このときに受けた感銘と歓びが、生涯にわたり発想の源となったと言われています。

ストックホルム図書館(1928年)©GNU |
旅から戻ると、アスプルンドは精力的にコンペに応募します。その中のひとつである「ストックホルム南墓地設計」のコンペには、「クララ・スクール」の同級生レヴェレンツと応募し、1等を獲得しました。後に「森の墓地」と呼ばれるこの建物は、アスプルンドが生涯をかけて建築を行った代表作のひとつで、圧倒的な自然の優位を認めて敷地の森林には手をつけず、ひっそりと建築物を溶け込ませているのが特徴です。「森の墓地」は1994年にユネスコの世界遺産に登録され、20世紀以降の建築としては世界遺産登録への第1号となっています。この他に「ストックホルム市立図書館」(1928年)「スカンディア・シネマ」(1923年)などの建築で影響力を強め、北欧建築界全体のリーダー的存在となり、1931年に母校である王立工科大学の建築学科教授に就任します。
1930年代はヨーロッパの建築界で機能性という考え方が広まった年でした。この機能性に対し、アスプルンドも情熱的に取り組みます。彼にとっての機能性とは、日常の暮らしを第一に考え、すべての人に光が当たるように工夫することであったと言われています。そのため彼の作品は、人間の心理や物事の本質を見据えたコンセプトが特徴のひとつになっているのでしょう。

森の火葬場/森の墓地(1935〜1940)©GNU |
私生活では1918年に結婚をし、間もなく長男が誕生しますが、アスプルンド34歳の年であった1920年に死去。彼の妻はこの出来事が発端となり、精神のバランスを崩してしまい、間もなく離婚します。そして1934年に再婚しますが、6年後の1940年に心臓発作のため、55歳という若さでストックホルムで逝去しました。それは、アスプルンドが30年以上の歳月をかけて築いた「森の墓地」が完成した年でもありました。そして、アスプルンド自身もこの「森の墓地」へと還っていったのでした。
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