最も多作で最も愛されているスウェーデンの作家の一人が、今年、生誕150周年を迎えました。セルマ・ラーゲルレーヴ(1858 - 1940)は、文学だけでなく、女性解放運動においても指導的役割を果たした人物でした。
彼女の作品で最も有名なのは「ニルスのふしぎな旅」でしょう。これは、ガチョウと友達になったニルス・ホルゲソンという少年が、その背中に乗ってスウェーデンのあちこちを旅するお話です。
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「ニルスのふしぎな旅」オリジナル版と日本語版(小学館刊 初版) |
ラーゲルレーヴの子ども時代は、健康に恵まれませんでした。生まれつき腰に障害があり、両足が不自由だったのです。後年にはすっかり回復したのですが、そのせいで彼女は多くの時間を1人で過ごさなければなりませんでした。幼くして読み書きを覚えたラーゲルレーヴは、わずか10歳で作家になることを決意したと伝えられています。
父親の意見に背いて教師になる勉強をしたラーゲルレーヴは、最初の赴任地であるスウェーデン南部の都市ランドスクローナで、処女作となる「ヨスタ・ベーリング物語」の執筆にとりかかります。この「ヨスタ・ベーリング物語」は、当時、大流行していたリアリズムへの反発を込めた作品でした。読書は夢のような非日常の体験であってほしいと考えていた彼女は、手垢にまみれた日々の暮らしを題材にするのが嫌だったのです。
スウェーデン・アカデミーが1909年にラーゲルレーヴへのノーベル賞授与を決めた際の理由は、作品中の「崇高な理想主義、生き生きとしたイマジネーション、精神性の高い観察力の評価による」というものでした。
ラーゲルレーヴは後に同アカデミーの会員となり、この栄誉ある賞の選考メンバーに加わりました。そのさえたウィットと研ぎ澄まされた知性は、最終選考に大きな影響を与えたと言われています。
言うまでもなく、ラーゲルレーヴは小説家として人々に大きな影響を与えてきました。彼女の作品は世界各国で翻訳され、数え切れない子どもたちに読まれています。中でも最も愛されているのは、もともとは地理の教材用に書かれた「ニルスのふしぎな旅」でしょう。
作家としてばかりでなく、スウェーデン女性の解放運動でもラーゲルレーヴは大きな役割を果たしました。1911年にストックホルムで開かれた国際女性参政権運動家会議では講演者の1人として演壇に立ち、1934年にはスウェーデン自由党の創設メンバーとなっています。
ISA東京はこの10月、セルマ・ラーゲルレーヴの生誕150周年を記念してシンポジウムを開き、ヴェルムランド県知事のエヴァ・エリクソン氏をお招きしました。
ラーゲルレーヴの熱心な研究家でもあるエリクソン知事は、彼女ほどヴェルムランド県の振興に寄与した人物は、スウェーデン国内外のどこにもいないと言います。エリクソン知事は、東京のスウェーデン大使館で行われたシンポジウムでこう語りました。
「私にとってこの地理の教科書(ニルスのふしぎな旅)は、あらゆる可能性を秘めた国を描いた、心揺さぶられる物語なのです。この本は、今この時代にこそ重要なものだと思います」
来年はノーベル賞受賞から100年にあたりますが、セルマ・ラーゲルレーヴの作品は今も世界中で読み継がれています。
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